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ふぁーみんぐ通信09年10月号
信州麻サミット2009〜教育で実践する「麻」の巻〜
麻サミット中に実施した麻煮、麻はぎ、麻ひきの様子
●信州麻サミット2009 10月24日(土)・美麻地区文化祭と合同開催(※)
今年は、「地域の特色を次世代につなぐ」をテーマにして、「教育」として
「繊維」素材に取り組んでいる全国の貴重な事例を集め、モノづくりや地域
文化の伝承を実践されている現場の先生から語ってもらいました。
また特別講演には、麻の歴史文化を語る上で欠かせない3〜4世紀に活躍した
忌部(いんべ)氏研究の第一人者である林先生を初めて御招きしました。
このサミットを通じて教育への期待と課題について皆で考えていきましょうという
コンセプトで実施した。開催場所は、道の駅・ぽかぽかランド美麻の敷地内である。
麻と教育というテーマに思い立った理由は、単純であった。
それは、当初予定していた講師の方々(和綿、葛布、麻布関係者)が全滅だったからと、
会場となる長野の美麻地区は、学校教育と地域を連動させて取り組みたいという意向
をもっていたということにヒントを得た。
それならば、小学校、中学校、高校、大学、社会人という段階別で、麻に関係する
教育実践事例を集めてみようと考えた。
●事例報告「地域の特色を次世代につなぐ実践−麻を事例にして―」
・美麻小中学校の取り組み
→ 柔道の創設者の嘉納治五郎師範が畳糸は、美麻村のものでなければならないという
資料が発見され、それに基づいて、2008年に横浜の畳職人植田昇氏と村内のお年寄
りの協力によって得て畳経糸づくりとそのミニ畳づくりに挑戦した。
ホントは体験した生徒が発表する予定であったが、あいにくインフルエンザで、
司会の方が代役としての発表であった。
・鬼無里小・畳糸加工の伝承活動 岩下重喜(鬼無里小学校教頭)
→ 2007年から信州麻プロジェクト協議会の会長であり、最後の鬼無里村長であった
風間氏を中心としたプロジェクト。40年前までは、鬼無里で栽培されていたが、
化学繊維に押されて栽培されなくなったのを復元し、2008年からは、小学校
4年生から6年生の総合学習の時間で一連の加工工程を体験。
麻は、栃木県から茎の状態で仕入れ、麻煮、麻はぎ、麻かきをして精麻をつくり、
そこから麻績みして、麻撚り、糸合わせ、雪の上での寒晒しを経て畳糸をつくる。
当日は、来年の春に郷土学習の教材となるDVDの編集途中の映像を見ながらの
解説でした。
・農業高校で野州麻に取り組む 小森芳次(栃木農業高校教諭)
→ 日本一の麻産地の栃木県で農業高校の部活動の一環として、麻活動を3年ほど前から
展開中。収穫から加工体験を行い、特に、花火用の麻炭を地元でたった一人
残る職人と一緒に作業して、作業工程をマニュアル化したこと、それから下駄の
鼻緒づくりの作業台をつくって、自分たちで鼻緒づくりに取り組んでいること、これも
素人ができるようにマニュアル化した。
左から注連縄、懐炉灰と麻炭、麻和紙
麻の繊維が吸水性がよいことに着目して、地元ベンチャー企業と共同で、
獣害対策用のロープ(動物がいなや臭いを麻縄に浸みこましておく)を開発したこと
などを報告。
5名の女子高生からの発表が新鮮で、驚きであり、堂々とした発表だった。
聞いていた参加者からは、ここの農業高校に入り直して勉強したい・・・・という感想が
でるほどであった。
・バナナ繊維から世界のことを考える 柏木弘(多摩美術大学生産デザイン学科准教授)
→ 食べられないバナナは、芭蕉布(糸芭蕉)となるが、食べられるバナナは
実芭蕉という。この大学では、この普段食べているバナナの廃棄された茎から繊維を
とって、糸をつくり、大学の授業として取り組んでいる。デザイン学科であるが、モノづく
りの現場をを体験させるというのがミソ。文部科学省の現代GPにも採択され、
学生が卒業制作として、新宿OZONEでの展示会を開いたり、バナナの生産国である
アフリカのウガンダなどで大統領に、その国のバナナ繊維でつくったバナナTシャツを
国際親善の一環としてプレゼントしている。
また、それらの国際親善を通じて、今度はその国からバナナの繊維技術を学ぶ
研修生がやってきたりと確実にその和が広がっているという報告であった。
多摩バナナ大学と呼べそうな大学の看板プロジェクトに育っているようで、今後は、
この先生の兄が美麻にいるという縁も活かして、ぜひ国内の麻のプロジェクトにも
参加してもらう予定である。
・からむし織と織姫制度17年の挑戦 齊藤環(織姫11期生出身、福島県昭和村在住)
→ からむし=苧麻(ラミー)を育て、糸をつくり、布を織るという技術伝承のため、織姫制度
が17年前からはじまっている。1年目は研修生として、2年目と3年目は後輩の指導員と
して残れる制度である。からむしは、越後上布の原料として出荷された換金作物で、麻は
地元の方が来ていた生活着であった。そのため、織姫が習っている織りの技術は麻で
であるが、現在は原料をからむしを使っている。70名ほどの卒業生のうち3分の1は会津
地域に残り、地域に根付いている。
昭和村のような織姫制度の麻バージョンをつくるのが一つの目標である。
●教育現場から麻を語る
今回の事例を聞くと、地域の方と生徒が交わることによっての普段は接点のない
世代間交流ができ、地域に誇りをもつこと=郷土愛のようなものの芽生えに大き
な教育的効果があるような気がした。
現状では、薬物乱用防止教育の中でしか触れられていない大麻の情報。
繊維として、生活としての麻は、教育現場からほぼ消えてしまっている。
しかしながら、次世代に地域の特色をつなぐという試みでかろうじて実施している
のが実情だ。私は、これらの貴重な事例を基に、他の学校でも取り組んでもらい
たいという希望をもっている。
下駄の鼻緒と作業台
麻の取り組みの普及に関しては、農業高校生からの提案であったが、下駄の鼻緒を
習うワークショップなら、小学生や中学生に教えることができるという。どこか採用しそ
うな学校を紹介してほしいとも言われた。
また、大学生ならどのような学部であっても卒業論文や研究で、麻をテーマにすることは
比較的しやすい。毎年、そのような大学生がたくさんいて、私自身が直接助言する方も
2〜3名いる。
社会人では、生涯学習講座として実施しているPARC自由学校のような取り組み
であろう。麻のもつ情報量は幅が広く、深いため、生涯学習講座には、もってこいの
テーマである。これからも小中高大・社会人と様々な段階で麻が学べる機会を増や
していきたい。
●特別講演「日本各地に麻文化を広めた阿波忌部〜日本再興への道筋を探る〜」
林 博章(阿波歴史民族研究会・高校教諭)
→ 150枚以上のスライドを使って、忌部の軌跡の全体像を語っていただきました。
忌部氏とは、徳島県吉野川市(麻植郡4町村)に拠点を置き、3〜4世紀に全国各地に
麻と穀(カジノキ)を植え、農業、養蚕、織物、製紙、鍛冶、建築及び音楽などを伝播さ
せていった氏族である。
今回は、長野と忌部のつながりでは、徳島→奈良→三重→愛知→長野という流れで、
忌部氏の系統である麻績族があり、麻績村という地名も今でも残っている。
あとは諏訪大社のつながり、穂高神社のつながりなどいくつかある。
これらの軌跡は、新しい本の中で紹介していくという。
PARC自由学校の東京と大阪の方々も参加して聞いていたと思われるが、圧倒的な
情報量と大きな声で打ち負かされてしまった人もいたようである。
質問もかなりの知識をもった上での高度なものであり、参加者の興味・関心度が高い
ことには、講師である林氏も驚いていた。
今後は、忌部農法という日本の古代農法の原型が徳島の忌部が拠点としていた
地域に残っているので、それを軸にして麻とともに地域活性化につなげていくとのことで
あった。
●歴史ロマンから麻を語る
忌部氏と麻は深い関係があり、忌部を知ることは、日本の建国を知ることであり、それを通じて
麻の役割も明確にわかる。
私の立場は、持続可能な社会、平和産業の構築という視点で麻という素材に着目している
が、この歴史ロマンの膨大な情報量はものすごく参考になる。
日本人の知恵や原点が凝縮されているような気がしてならない。
歴史の教科書に林先生の研究成果が反映されることを心待ちにしているのと、
私自身も忌部の理解を深めるための機会づくりは、今後も続けていく予定である。
※美麻地区文化祭&信州麻サミットにおいて美麻地域づくり協議会、美し村開拓協議会、
信州麻プロジェクト協議会、食堂「麻の美」及び美麻商工会、麻サミット出店者、地元の方々
など開催準備、当日運営から撤収までご協力ありがとうございました。
主催関係者の一人としてこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
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